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何年か前、正確にはそう5.6年前、ある考えが浮かんだ。
今でも我ながらグッドアイデアだと自負しておるので、今日は復習の意味でこのお話を。 茫茫たる記憶ながら、懐かしくも楽しい学生時代のことを思い出して、夢よもう一度などとかなわぬ夢を見ることがある。 叶わぬ学生時代ならば、叶う「がくせい時代」を思案したらよかろうとすばらしき着想を得たのです。 以下叶う「がくせい時代」とは何ぞやを解説し、皆様のご批評を仰げたら幸甚に存じます。 これからの人生の残り時間を、この「がくせい時代」として生きていきたいものだと痛感します。 「がくせい時代」は3つの項目から成っています。 一番目の「がくせい時代」 「楽生時代」 「楽生時代」とは文字通り、楽しく生きる。 だれでも楽しく生きたいとは思うでしょう。私も思います。 されど、そうはいかないのが世の常。嵐もあれば雪もありと言うところです。 「そんな時も楽しくいられるのか」と言うのは普通の考えですが、実は秘策があるんです。 有名な相田みつをさんと言う方がいました。「にんげんだもの」の人です。 その方曰く、「幸せはいつも自分の心にある」 そうです、物事に対して、自分がどう受け止めるかによって常時楽しく生きることは可能だと思いませんか。 とはいうもののそれこそ「にんげんだもの」悲しいときは悲しいのが普通でしょ。 そこで私の妙案とは、すべてを楽しくうれしいこととして受け入れる心のくせづけを習慣にすること。 これには長期間の学びと訓練が必須ですが、やる価値は十分あります。 有名なそして好きなお話に「塞翁が馬」と言うのがあります。解説はしませんので興味のある方はウェブで検索してみてください。 そのお話とはつまり、憂うべきことが起きても、時間の経過とともに結果的に慶事となったり、慶事だと思ったことが、結果的には悲しみだったりと言うことはあるのだから、一喜一憂しないで、「すべてこれでよい、これが良い」と喜んで受け止めよ。と言うことです。「禍福はあざなえる縄のごとし」 二番目の「がくせい時代」 「学聖時代」 「学聖時代」と書きまして、「学んで聖人をめざす」と言う意味です。 これも「学ぶくせ」をつける必要があります。 人類の進歩は先人の知恵の蓄積によって成り立っていますし、知恵の蓄積のおかげで現在のわれわれの幸福が成り立っています。生まれた時から飛行機があってそれを利用できるのは先人の知恵と学びのおかげです。先人の学びと知恵のおかげを思えば、われわれも次代の人たちのために学び、知恵を残す努力をすべきなんです。今回の日本人3人のノーベル賞ほどのすばらしい知恵ならずとも、ささやかなりとも次代に渡せる何かを残すために、学びましょう。聖人を目指しましょう。 最後の「がくせい時代」 「ガクッ制時代」 「ガクッ制時代」とは、「高齢になって体がガクッと弱まりますが、それを何とか制する」ことです。 わたしも68歳となり、かなりガクッとなっていますが、ありがたいことにこれと言った病気もなく一応健康です。 健康は、栄養と休養と運動だと言いますが、何を食べるか、何時に寝て何時に起きるか、どんな運動を習慣にするかと言うことでしょう。 食べることでいえば、「医食同源」と言う言葉もあるように、非常に大切なことだと常々思っています。 特に、「寿命は食べた野菜の量に比例する」と言いますとおり、野菜が大事。 中でも黄緑色野菜。これです。 わたしはもう10年近く毎朝人参とレモンとリンゴとオリーブオイルのジュースを絞って飲んでいますが、これがよろしいようです。幸いなことに、好き嫌いは人間にも食物にもありません。 ガクッを制するためには、たくさん学ぶ必要があろうかと思いますので、これからもこの「ガクッ制時代」を極めたいものです。 「楽生時代」 「学聖時代」 「ガクッ制時代」 3つの「がくせい時代」を心がけて、すばらしい人生の着地を目指しましょう。 みなさんもいかがですか。
by nagasimasan
| 2015-01-04 17:03
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